長崎原爆忌

今日は、長崎の原爆忌です。
東京に住んでいた頃は、原爆といってもあまり実感がわかなかったように思いましたが、ここ長崎に住んでみると、やはり違いますね。子どもたちは今日、学校の登校日です。平和学習が行われ、被爆者の方の体験談などを聞いてくるんですね。
うちでは寝る前にお祈りをするんですが、子どもたちも小さな頃から、自発的に「げんばくとか、ばくだんとか、せんそうがないようにしてください」と毎日お祈りしています。(通っている保育園でも、この日には原爆や戦争についてのお話があったようです)
私の住んでいる場所は、長崎といっても佐賀県寄りで、原爆の被害を受けた長崎市はかなり遠いんですが、親戚のなかには当時、市内にまで支援に駆けつけ、被爆した方々もいます。
今日、午前11時2分には、町中にサイレンが鳴り渡り、皆が黙祷を捧げます。
私も謹んで、犠牲者の皆さんのご冥福と世界の平和を祈ります。
ここで、「フランチェスコの平和の祈り」という文を紹介したいと思います。アッシジのフランチェスコとは、フランシスコ会の創設者として知られるカトリック修道士で、この祈りは彼の作ではないのですが、彼の精神をよく伝える祈りであるとされ、多くの人に愛唱されています。以下は日本語訳と中国語訳なんですが、中国語は二種類のものがネットに出ていたので、参考に二つともご紹介しておきます。


フランチェスコの平和の祈り
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。
アッシジのフランチェスコ


圣方济各和平祈祷文

主啊,
请将我塑造成和平工具
哪里有伤害,让我传达宽恕
哪里有仇恨,让我播种爱德
哪里有疑惑,让我提供望德
哪里有绝境,让我带去喜乐
主啊,
请赏赐我所梦寐以求的
不是被理解,而是去理解
不是被安慰,而是去安慰
不是被人爱,而是去爱人
因为
只有给予,我们才会获取
去原谅,我们才会被宽恕
死于旧我,才会获得永生


圣方济各的和平祈祷词

主啊,
求你使我们成为你和平的工具,
在有仇恨的地方,让我播种仁爱,
在有伤害的地方,让我播种宽恕,
在有猜疑的地方,让我播种信任,
在有绝望的地方,让我播种希望,
在有黑暗的地方,让我播种光明,
在有悲伤的地方,让我播种喜乐。
主啊,
求你给予我们那梦寐以求的,
叫我们不求安慰,但去安慰,
不求理解,但去理解,
不求被爱,但去爱。
因为,
给予就是我们的收获,
宽恕别人,我们就被宽恕,
这样的死亡,就是我们的新生。


長崎原爆資料館

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by saiko-ch | 2010-08-09 11:29 | 中国語聖書

中国のキリスト教

皆様、誠にお久しぶりです。なんと4ヶ月以上も更新をサボってしまった。。。
8月27日放送の「報道ステーション」~中国に急増する地下教会~をご覧になりましたか?
私は見てないのですが^^;、大体の内容を他のブログ等で知ることができました。その内容を見ていて、「あら~先日私がしゃべった内容と似ているわ」とちょっとびっくり。
実は私、今年6月に、今通っている佐世保教会というところで、「中国のキリスト教」という題目で公演(?というほどのことでもなく、、、ちょっとしゃべっただけなんですが)したんですね。このニュースに興味を持った方もいるかもしれませんので、ご参考に掲載してみます。ただ、ニュースの内容と違う点はあるでしょうが、これはあくまでも私感なので、そこのところはご了承のほど。

「中国のキリスト教」(佐世保教会2008.6.15 アジアサンデーにて)
本日、皆様の前でお話しさせて頂けること、とても光栄に存じます。
今日は中国のキリスト教についてお話しさせて頂きたいと思いますが、私は宗教の専門家ではないので、不正確なところもあるかもしれません。それに関してはお許し頂いて、現代の中国のキリスト教と中国人のキリスト者について、私の知っている経験の範囲で少しお話させて頂きたいと思います。

中国は、皆さんご存知の通り、共産主義つまり無神論を奉じている国ですから、中国にはキリスト者が少ないのではと、多くの方々は考えておられるかもしれません。実際、中国共産党は、「宗教は民衆のアヘンである」とのマルクスの言葉を踏襲して、宗教全般を否定し続けてきましたし、1960年代に始まった文化大革命によって、すべての宗教は徹底的に批判され、迫害されました。特に「外来の」キリスト教には過酷な弾圧が行われ、殉教したキリスト者も少なくなかったと聞きます。最近でもチベットでの弾圧の問題など、中国における人権侵害や信教の自由に関する問題について、特に西側諸国から批判されているのをお聞きになっている方もいるかと思います。しかし近年の中国の宗教に対する対応には変化が見られるようになり、地域によっては若干事情が変わってきたようです。

その変化についてご説明する前に、まず私自身の体験談を少しお話しさせて頂きたいと思います。私にとって中国人のキリスト者は、私自身の信仰生活と切っても切り離せない、密接な関係にあります。彼らとは主に、日本に留学や仕事に来ていた在日中国人たちです。お話は10年近くも前に遡ります。
当時私は、とある教会で洗礼を受けて数年経っていたにもかかわらず、信仰生活にも社会生活にも迷いが尽きない日々を送っておりました。そんな私に、突然、中国人の姉妹、陳さんとの出会いが与えられました。ある書店で中国語に関する書籍を探していた私に、「中国語が好きなら友達にならないか」、と、その見ず知らずの彼女が声をかけてきたのです。話をよく聞いてみると、そこにいた数人の中国人たちは皆、あるキリスト教の教会に通っており、彼らの教会では日本語の説教を中国語に通訳して聴いている、というのです。彼らは自分達の家で行われるパーティや、彼らの教会の礼拝にきてみないかと誘ってくれました。中国語を学び始めたばかりの私にとって、それはとても魅力的な誘いでした。
結局私は、もといた教会から彼らの教会に移り、たくさんの中国人キリスト者の友人を与えられることになりました。そしてそれと同時に、聖書に触れる機会も増え、迷いに迷っていた私の心にも、ある種の確信が与えられるようになりました。
数年後、陳さんや私、その教会の中国人キリスト者の大多数は、それぞれ他の教会に移ることになりましたが、陳さんや幾人かの姉妹とは今でも交流が続いています。またあの当時、イエス・キリストや聖書について熱く語り、行動していた彼らの信仰は、今でも忘れられない、強い印象を私に残しています。祖国に帰れば教会で礼拝するどころか、迫害される危険性を孕んでいるにもかかわらず、いや、だからこそ、彼らの信仰は熱く、強いものとなっているように感じました。彼らの情熱は、日本で生まれ育ち、自由な生活を満喫している私には、到底及びもつかないほどの力をもって、私に迫ってきました。幼い頃からマルクス主義や唯物論を学んでいる彼らが、その理論に失望し、なおも熱心に真理を追い求める姿には、強く心を揺さぶられました。
その教会は中国大陸にも分教会がありましたが、中国当局に認可されていない、地下教会というものでした。陳さんたちを通じて、私も地下教会に所属するキリスト者とも交流しましたが、彼らは逮捕や拘留されたこともあった、と話してくれました。その人の話では、地下教会の宗教活動は公にはできないので、個々の家庭に集まって礼拝を守っており、伝道もなかなかできないということでした。彼らとのインターネット上のメールのやりとりでも、一時は中国当局による検閲のため、用いる単語にも配慮するなど、気を遣うこともありました。

ここで、少し中国当局の宗教に対する姿勢についてご説明したいと思います。
1954年に公布された中華人民共和国憲法では、信教の自由を規定してはいました。しかしその後の文化大革命によって、大迫害を受けたのは先に述べた通りです。その後、1982年に憲法が改正された際に、改めて信教の自由について認められるようになりました。しかし、これには中国共産党による「認可」が必要となります。まず現在、中国で公認されている宗教は道教、仏教、イスラム教、キリスト教・プロテスタント、キリスト教・カトリックの五つの宗教です。公認宗教は公開の礼拝所での礼拝を許されており、共産党の愛国主義的な指導を受け、国家宗教事務局という機構により管理されています。そして、実際に教会堂の建設を行ったり、宗教活動を行ったりすることが可能なのは、政府に登録して認可を受けた教会のみで、それぞれの宗教の活動は、この国家宗教事務局が認定した場所と時間に、認定された聖職者によって執り行われなければならないそうです。公認教会で作成された信徒名簿は政府に提出され、すべての信徒が把握されているとのことでした。また、未成年者への宗教教育は禁止されており、幼児洗礼も禁止であるそうです。中国の国民は幼稚園から大学まで、みっちりマルクス主義の唯物論を学ぶのだそうです。
法律上での信教の自由とは、先に述べた公認宗教及び教会のみについての自由であり、それ以外の非公認宗教及び教会は「邪教」とされ、弾圧が正当化されています。この弾圧の対象となるものの中には、中国と国交を断絶している、バチカンに追従するカトリック組織も含まれています。弾圧というのは、公安当局に逮捕や拘留されたりするほか、「法輪功」のような政府に批判的な団体などには、投獄、拷問、処刑も行われたりしているようです。

しかし、先ほど述べたように、現在ではこの状況も地域によっては若干変わってきているそうです。
4年ほど前から、上海に住んでいる陳さんからの話です。上海の地下鉄の車中、大勢の他人の目がある中で、キリスト者たちが聖書を開いてシェアしていたり、賛美歌を練習したりしている様子を見たことがある。日本人向けのフリーペーパーで、日本語での家庭礼拝のメンバーを堂々と募集する広告がある。また彼女は、今通っている国家公認のプロテスタント教会の説教で、浙江省温州という人口約800万人の都市に、イエスを信じる人が80万人もいるという話も聞いたことがあるそうです。
それ以外にも、今まで書店では販売を許されず、教会内でしか手に入らなかった聖書も、上海ではキリスト教専門書店がオープンして、そこでも販売されているようでした。
 ただし、この「信教の自由」の実態は、各地域によってかなり大きく異なっているという話を耳にします。宗教局がほとんど干渉せず、公認・非公認に関係なく、公然と教会が運営されている地域もあれば、わずか数人の集まりでも厳しく禁止され、公認教会であっても教会堂の破壊や信徒の逮捕など、迫害を受ける地域もあるといいます。こういう状況は、中国は「法治」国家でなく、「人治」国家である、といわれる所以なのだろうかとも思います。

それでは中国には現時点で、どの程度のキリスト者がいるのでしょうか。
これには諸説ありまして、2002年の中国政府の発表では、カトリック信徒500万人、プロテスタント信徒1600万人となっていました。しかし例えば、ブリタニカ国際年鑑の最近のデータでは、すべてのキリスト者は中国の全人口の7%から7.5%の9100万人から9750万人であるという情報や、他にも最多では既に1億3000万人に達しているという情報もあります。さらに、その人数の8割から9割が政府非公認の地下教会に所属するキリスト者である、という話も聞きました。
中国の全人口が13億人として、仮にキリスト者が1億3000万人いたとすれば、キリスト者は全人口の10%にも上り、中国はアジア屈指のキリスト教国ということになります。しかしこの数は、先ほど述べたように諸説あり、確証できるものはありません。ただ政府の公式発表でも1980年代には30万人といわれていたプロテスタント信徒が、2002年には1600万人にまで増加していますし、先ほどの陳さんの話などからも、近年、特にプロテスタント信徒の増加が著しいことは事実のようです。日本のキリスト者は全人口の約1%、130万人ほどといわれていますから、少なく見積もっても日本より随分多いのではないかと思われます。
キリスト教信徒の増加の理由としては、都市と農村では若干異なるようです。教育水準の高い都市の人々にとって、かつては理想であった共産主義に対しても、ソ連の崩壊や市場経済化などを経て失望を感じ始め、新たな心の支えを求めるようになっている。また一方、農村では共産党の影響力低下に加えて、洪水や地震など災害が相次いでいることを、共産党の時代が終わる予兆と信じている人々が増加しているということでした。
さまざまな情報から判断すると、自由主義国家のような宗教的自由はありませんが、ある制限下での信仰の自由はあり、キリスト者人口が増えているというのが、現状ではないかと思いました。中国はアメリカから、ほとんど毎年のように「信教の自由」が守られていないと厳しく批判され続けていますが、それなりに変化はしているようです。まだまだ不十分であることは違いありませんが、キリスト教会に関して言えば共産党の批判をしない限りは、ある程度の活動を認められているようです。
ただこういった中国当局の変化も、宗教全般を潜在的な反政府勢力と見なしていた従来の体制が変わったというより、北京オリンピックや上海万博などを控えた、今後の中国の発展のため、海外からの批判をかわすために、一時的に規制を緩めているだけに過ぎないのでは、という気もしています。

また、地下教会に属するキリスト者たちには、
「政府公認の教会は、公の言いなりの教会である」
「政府公認の教会では、聖書の真理は語られていない」
「中国の国旗と国歌はキリスト教教義と相反する」
「中国の民主・自由化を実現しなくてはならない」
という意見の者も、少なくないらしいことも耳にしました。
しかし仮に中国が、民主・自由化されたとしても、それは弱肉強食的な資本主義へと進む道でもあるのでは、とも感じています。それが正しい道であるかは誰にも分からないし、中国には全く違った道もあるのでは、とも思います。ただ、中国のどの地域であっても、どんな戸籍を持っていても、どんなコネを持っていなくても、常にすべての中国人が同様に、基本的人権と信教の自由を守ってもらえる国になればいいと、心から祈るばかりです。

最後に、中国の姉妹陳さんたちとのエピソードをもう一つご紹介します。
実は陳さんは台湾人で、後に上海の人と結婚して上海に移り住んだのですが、以前に所属していた教会には、大陸出身の中国人、台湾人、香港人、マレーシアの華僑など、さまざまな中国系の兄弟姉妹がおりました。
どこの国籍を持っていたとしても、彼らはみな、非常に仲が良かったのですが、時々、「台湾は中国か」という問題でケンカもしていました。しかしそんなときにはいつでも、皆で祈りあって仲直りをして、許しあっていました。私はそんな彼らの姿に、「神の国」を見た思いがしたのを、今でも深く心に残っています。
日本人である私が、彼らとの関係性において国境を感じることがなかったこと、神様にいつも感謝しています。ご清聴ありがとうございました。

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by saiko-ch | 2008-09-01 10:33 | 中国語聖書

バベルBabelと中国語

大家好!
始まりましたね~今期、超話題作の映画「バベルBabel」!!!
もち、まだ観ていません・・^^;でもなんか、上映された途端に、観客の人に具合の悪くなる人が続出らしくて、ちょっと残念ですね~・・これって、昔「ポケモン」で目がチカチカして具合が悪くなった、、というアレと同じ現象ですかね・・??

でも今回はそれとは別として、中国語からバベルを見てみたいと思います!
で、皆さん、「バベル」ってなんだかご存知ですか?そう、この映画で初めて知った方も結構多いはず。バベルとは「混乱」を意味する言葉で、「バベルの塔」のお話に基づいたものなのです。この物語、実は旧約聖書に記述のある、古い出来事なんですよ~!私は一応、クリスチャンなので、このバベルのお話も、今回が始めてではなかったんですが、この映画によって、改めて考えさせられることがありました。

旧約聖書の創世記に出てくる、このお話。以下がその聖書の箇所です。
主は降って来て、人の子たちが建てた塔のあるこの町を見て、言われた。
『彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう。』
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。
これによって、その町の名はバベルと呼ばれた。
(旧約聖書創世記11章)

で、これを中国語で読んでみましょう!
「耶和华降临,要看看世人所建造的城和塔。耶和华说:
『我们下去,在那里变乱他们的口音,使他们的言语彼此不通。』
于是耶和华使他们从那里分散在全地上;他们就停工,不造那城了。
所以那城名为巴别。」(中略)

中国語の「耶和华」とは、日本語で「ヤハヴェ」(ヤハウェ)のことで、ヘブライ語で「唯一神」を表す言葉です。バベルの中国語は?といえば、音訳で「巴别」(塔)となっていますね。(「通天塔」と意訳しているときもありますが)

翻訳って、このバベルの事件がなかったら、全く成り立たないことなんですよね。
もしも世界中の人々が、同じ言語をしゃべっていたら、翻訳も通訳もする必要がありませんもの!と、すると、翻訳っていうのは、このバベルの塔への挑戦、といっても過言ではないでしょう。ちょうどこの名前を学校名に使って、「翻訳技術の進歩により世界の人々のコミュニケーションが旧約聖書の“バベルの塔”以前に近づくよう貢献することが同校のミッション」と謳っている、某大手翻訳学校もあるくらいです。

「バベルの塔」への挑戦・・・でも、ですね。私はここで、ちょっと考えてしまいました。これでは神様がされたことへの挑戦、反抗、抵抗になりはしないか?と。自分たちの罪のために招いた壁に直面し、その壁を打ち破ろうと闘う人間たち。なんだか、いつの世の中も同じようです。
でもまた、こう考えました。翻訳とは、神様への抵抗ではなく、自分たちがかつて犯した、バベルの罪に立ち向かって、その罪に抵抗し、その罪を乗り越えていこうとする、人間の強い意志の表れではないかと。
イエスキリストが、神様と人との間の壁を打ち崩してくれたように。そんなふうに、翻訳者として言葉の壁を打ち崩し、つながらなくなってしまった人と人との思いを、もう一度つなぎ止めていきたい、そんなふうに、自分の仕事と向かい合っていきたい、そうしみじみと思いました。

で、映画の話に戻りまして、中国語での映画解説、結構面白かったので、見てみて下さい!
中国語バベル
日本のサイトでは見たことのないような写真とかが、掲載されていて興味深いです。以下は中国語での映画概要です。

影片故事情节复杂,由3个故事组成,讲述的是墨西哥沙漠上发生的一系列神奇故事。皮特和布兰切特扮演的一对美国夫妻在非洲旅途中遭遇不测。摩洛哥的牧羊少年持枪闯天下,他发现自己射出的子弹远得超出了想象。墨西哥保姆准备带着两个孩子非法穿越国境……以洛杉矶、摩洛哥、东京及突尼西亚4个地方为背景,而役所广司会在“东京篇”中扮演父亲。
“巴别塔”的原意就是指人类为了见到上帝,准备建造一座通天塔,上帝为了阻止人类,让他们语言变的不同。于是,人类开始有了文化差异,从而导致了冲突……曾执导《狗男女的爱》及《21克》的墨西哥导演阿加多·冈萨雷斯·伊纳里多的这部野心之作,被看作是一个乱世寓言。布拉德·皮特出演的男主角也被认为是他职业生涯中的一次突破。
うーん、おもしろそう・・・しかしいつになったら観られるやら。。仕事が片付いたかな、と思うと子供が熱を出し、子供が元気だと、外に一歩も出られないほど忙しかったり、、、映画館に行かれる日には、今回も公開が終わっていそう・・・。。。

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by saiko-ch | 2007-05-01 00:47 | 中国語聖書

「ユダ」は中国語で何ていうの?

大家好!お元気にしていらっしゃいますか?今日は中国語講座はちょっとお休み、興味深いニュースがあったので、お知らせします!
皆さん、「ユダ」ってご存知ですか?きっと「マタイ」や「ルカ」を知らない方でも、「裏切り者ユダ」ならご存知のはず。そう、イエス・キリストの使徒であり、後にイエスさまを敵に引き渡してしまう、あの「イスカリオテのユダ」です。そのユダについてのニュース、以下をご覧下さい。

「わたしを裏切りなさい」=キリストが弟子ユダに命令・古写本解読【ワシントン6日】

約1700年前に書かれた初期キリスト教の外典「ユダの福音書」の写本が解読され、米ナショナル・ジオグラフィック協会で公開された。新約聖書には、イエス・キリストの弟子ユダがイエスを裏切り、刑吏に引き渡したと記載されているが、「ユダの福音書」では、イエスがユダに対し、自分を裏切るよう命じていたと書かれてあり、キリスト教理解に大転換を促す内容になっている。 この古写本はギリシャ語で書かれた原本のテキストを紀元3―4世紀に古代コプト語に移し替えたうえでパピルスに記録されたもので、66ページに及んでいる。放射性炭素測定やインク分析などを使った徹底的な分析を経て、本物と認定された。 写本には、イエスがユダに対し、「お前はあらゆることがらを越えていくだろう。なぜなら、お前はわたしを包んでいるこの男を犠牲にするからである」と述べたとあり、イエスの肉体からの離脱を手助けすることによって、ユダはイエスの内部にある聖なる「セルフ」の解放を手伝ったと解釈されるという。 ナショナル・ジオグラフィックの担当研究者は「写本の解読はキリスト教研究史上、過去60年で最も重要な発見の一つであり、初期キリスト教の理解のあり方に多大の貢献をするものだ」と位置づけている。 「ユダの福音書」の写本は1970年代にエジプトで見つかり、さまざまな骨董商の手を経て欧州から米国に渡った。ニューヨークの金庫に16年間にわたって保管された後、2000年にスイス・チューリヒの骨董商に買い取られた。 歴史に「ユダの福音書」の名が登場するのは、紀元180年にリヨン司教の聖イレナエウスが残した文書が初めて。この文書では、福音書は偽書であると決め付けられている。
ソース:ヤフーニュース

この、もっと詳しい内容のニュースを、中国語で見つけました。では、ここで中国語で聖書を学んでみましょう!

《犹大福音》曝光 称犹大是英雄

首次曝光、埋藏1700年的历史文件《犹大福音》(The Gospel of Judas)4月初将在美国华盛顿特区由国家地理学会举行记者会,正式公诸于世。而北京时间4月9日晚上十时,国家地理频道将在全球首次播映《犹大福音》纪录片,揭晓《犹大福音》不为人知的秘密。  
本片记录这部文献出土之后的故事、近年的鉴定过程分析结果,以及学者费心翻译、诠释之后所得的关键看法。藉由戏剧手法,模拟基督宗教在教会初期面对的各种迫害、传教、以及与各地文化交融的错综复杂关系。另外,也描绘出《犹大福音》本身的故事。  1970年代偶然发现的《犹大福音》是圣经考古学的重大发现,至于有无可能改写整个宗教历史,则尚未可知。这本最新出土的《犹大福音》内容,证明了在基督宗教在初期,一方面面临到罗马帝国的强大且严厉迫害,另一方面却以极快的速度向各地扩展,甚至远达到埃及当地。在与当地的“诺思底”(gnosticism,又称智慧派、灵知派)文化融合之后,当地人以诺思底教派的角度理解拿撒肋人耶稣,以及他与门徒之间的关系。其中最迥异的观点之一,就是关于耶稣门徒犹大(天主教称猷达斯)与耶稣的关系。《犹大福音》令人感到最有趣的地方之一,就是指称犹大是唯一懂耶稣的人,也最受耶稣喜爱,因此,最后是耶稣自己要求犹大,把耶稣出卖,好让耶稣自己可以早日脱离肉体的禁锢,耶稣体内神圣的灵魂便可以早日升天。因此,《犹太福音》中,犹大不仅不是两千年来基督宗教所称的“叛徒”,却反而是耶稣的最贴心门徒、以及英雄。  
至于《犹大福音》写于何时?作者又是谁?何时翻译成古哥普特语?研究工作与这部纪录片将揭露文献中的细节,以及从这部福音书的古哥普特语(Coptic)所翻译的关键内容。《犹大福音》特别节目同时将分析这部文献出土后的历史,其中包括详尽的修复过程。这份手稿最后将归还出土国埃及。  尽管《犹大福音》的出土被相关的研究工作学者、以及合作的媒体视为极高的机密。可是,美国《时代杂志》却仍然已经在2006年的2月份抢先报导了这个极为争议的重大圣经考古发现。根据美国《时代杂志》的报导,这部于1983年出现在古物拍卖市场的《犹大福音》,是公元二至三世纪左右的产物,全书以古埃及、希腊、罗马人常用来制纸的水草做成,书中使用的二世纪时代的古埃及地区基督徒(Copts)使用、称为“哥普特”(Coptic)的古老语言。《犹大福音》发现的地方是位于现在埃及境内的一个废弃古墓穴中,所以可以说是封藏了至少1500年之久的重要考古文献。  
根据美国《时代杂志》的报道,在基督宗教的历史上,最早提到《犹太福音》的人,应该是公元180年左右的教会初期的教父圣依雷内(St. Irenaeus),他曾在评论一群自称“该隐派”(Cainites)教徒时提到过《犹太福音》。后来,公元四世纪时候,尽管当时《犹太福音》已经消失无踪,但是埃比发尼主教(Bishop Epiphanius)也曾经提起过。  《时代杂志》透露,《犹大福音》在1983年出现在古物拍卖市场的时候,曾经因为卖者喊价高达三百万元美元,无法成交,因此后来就被藏起来,直到2004年,突然出现一位名叫凯瑟的人士,宣称他正在重新修复已经严重损毁了《犹太福音》,并且正在尝试翻译古哥普特语的《犹大福音》内容。根据报导,目前梅塞纳-马恩省斯基金会(Maecenas Foundation)宣称自己是《犹大福音》的拥有者。  
梅塞纳-马恩省斯基金会执行长马力欧·罗博提(Mario Roberty)表示,《犹大福音》的内容是“时代的产物”。罗博提解释说道,公元150年时候的基督徒,试图努力找寻“超越犹太人之神”的神。因此,他们如果把耶稣的门徒犹大,以一种特殊的描绘方式来叙述是非常有可能的。另外,专家也指出,在公元150年之前,的确有非常多不同版本的“福音书”在环地中海各地区流传,其目的是为了在不同文化、不同语言、不同宗教思想的地区里,对当地人讲述耶稣基督的福音。因此,专家指出,任何一本福音书,与其说它们真实记录公元五十年之前发生在耶稣与门徒之间的历史,不如说它们其实是环地中海各地基督徒团体自己如何理解发生在耶稣身上的事情、以及耶稣的福音。换句话说,专家强调,出土的福音书,真正呈现的,其实是该地区的基督徒信仰团体自身的面貌,而不是二千年前的耶稣真实的一生、与耶稣的受难、死亡、与复活。  
美国时代杂志也对此采访了梵蒂冈的天主教历史学家华特·布蓝德慕肋蒙席(Monsignor Walter Brandmuller),华特蒙席表示,《犹大福音》的出土,尽管内容与教会传统的教导有差异,但是,仍然可以让我们更认识到初期教会部份基督信徒们的实际情况。

ソース:星島環球網

うーん、真偽のほどは分かりませんが、この「犹大福音」(ユダの福音書)、興味あります…!

★お知らせ★
またショップの方を移動しました~今は楽天のフリマでやってます。まだ商品は少ないですが、これからどんどん出品予定ですので、どうぞお見知りおきを…
中国語教材

★お知らせ、その2★
このたび、中国(大陸)からの輸入をサポートするためのサイトを立ち上げました!

中国最大級の書籍・音楽・DVD販売のネットショップで、2004年にAmazon.comが買収したJOYO.COM(卓越網)というサイトからの輸入にしぼって、中国語の日本語翻訳文や、購入方法などを詳しく解説してあります。
中国語初級者でも、中国語が分からなくても、購入できるような仕組みにしていきたいと思っています。立ち上げたばかりなので、まだまだ不備な点は多いですが、ぜひ皆さんのご感想やご意見をお聞きしたいと思います。是非訪問してみて下さいね!

「JOYO(Amazon中国)でお買い物!」


★お知らせ、その3★
今、このブログの公式HPを作成中です!しかしまだ作り中なので、内容は少ないです・・しかしいずれ、ほとんどの内容をそちらへ移動しようと思っていますので、よろしくお願いします♪
公式HP
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by saiko-ch | 2006-04-07 14:20 | 中国語聖書

励まされた言葉

最近、とても励まされたお話を聞きました。是非みなさんにも読んで頂きたく、中国語とは関係ないのですが、以下に紹介します。もしかしたらもうご存知の方も多くいらっしゃるかと思います。聖書には、「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(「信就是所望之事的实底,是未见之事的确据」希伯来书11.1)との聖句がありますが、それを彷彿させる、勇気をもらえるお話でした。私も日々、がんばろう!!

ジョブズの卒業祝賀スピーチ
2005年6月12日、スタンフォード大学
原文URL:
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404
 PART 1 BIRTH
ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。

私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業にな
りました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。

私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間も全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。

以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。
それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

The Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

スタンフォード公式URL&録画映像
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/videos/51.html
http://news-service.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

translated texts here are copyrighted to the translator,
**satomi ichimura

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バックグラウンド

6月12日、スティーブ・ジョブス氏はスタンフォード大学の卒業式
で祝賀スピーチをした。翌々日、trudyscousin(匿名)はIT情報サイ
トslashdot.orgにテープ起こしをした全文を掲載した。この文章は、
大反響を呼びブログや電子メールで世界中に転送された。

日本では、市村佐登美が翻訳し、とむさとうが7月20日にメルマガ
で配信した。多くの人がこの文章に感銘を受け、日本中にブログや電
子メールで広がった。

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by saiko-ch | 2005-10-12 21:06 | 中国語聖書

「マザーテレサ」は中国語で?

皆さん、マザーテレサという方は、もちろんご存知ですよね?カトリックの修道女で、ノーベル平和賞を受けたこともある、世界的に有名なキリスト者。インドの道端で死にかけている人々を救い、ただただ愛し、尽くし、奉仕し続けた女性・・最近、彼女の人生を描いた映画が公開されているようですね。私は住んでいる場所柄、まだ観られていませんが(^^;その「マザーテレサ」の名前は、中国語でなんと言うのでしょう?答えは「德兰修女」です。その彼女の「日々の祈り」の中国語版があったのでご紹介します。

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德兰修女的日祷词

亲爱的耶稣,无论我到何处,求您帮助我传播你的馨香。
用您的灵和爱充满我的灵魂,完完全全的渗透并占有我,
使我的生命焕发出您的光。
因着您的古光照和内往使每一个与我相遇的人都能感到您存在我灵魂中。
让他(她)们抬头看到的不是我而耶稣。求您与我同在,
使我开始像您一样发光,并照亮其他的人。(阿门)

日本語訳は、この中国語からではなく、英語訳から引用させてもらいました。

愛するイエスさま、私たちがどこへ行こうとも
あなたの香りを漂わせることができるよう、
私たちを助けてください。
私たちの魂をあなたの霊と命とであふれさせてください。
私たちの存在を貫き、支配してください、
完全なまでに、あなたのものとなった私たちの命が、
あなた自身の輝きとなり、
私たちを通して輝き、
私たちのなかに宿り、
私たちに触れるすべての魂が、
私たちの心のなかに
あなたの存在を感じることができますように。
人々が、私たちではなく、
イエス様、ただあなただけを見ますように!
私たちとともにいてください、
あなたの輝きで私たちが輝きはじめられるために。
他の人のためにともす光となるために。

どうぞ、ご興味のある方は、是非映画館にも足を運んでみてください!

2005年9月18日
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by saiko-ch | 2005-09-18 22:48 | 中国語聖書

中国語の聖書(聖経)

私はクリスチャンなので、聖書を中国語でご紹介したいと思います。もしご興味がおありなら、日本語の聖書も紐解いてみて下さい。中国語の勉強にもなりますよ♪では、まずマタイによる福音書から。

「凡劳苦担重担的人可以到我这里来,我就使你们得安息。我心理柔和谦卑,你们当负我的轭,学我的样式;这样,你们心理就必得享安息。因为我的轭是容易的,我的担子是轻省的」
马太福音(マタイによる福音書)11.28-30

これは有名な「愛」を語った一説です。

「爱是恒久忍耐,又有恩慈;爱是不嫉妒;爱是不自夸,不张狂,不做害羞的事,不求自己的益处,不轻易发怒,不计算人的恶,不喜欢不义,只喜欢真理;凡是包容,凡是相信,凡是盼望,凡是忍耐。爱是永不止息」
哥林多前书(コリント信徒への手紙一)13.4-8

次は個人的に大好きな「ローマ信徒への手紙」から。

「他必照各人的行为报应各人.凡恒心行善、寻求荣耀、尊贵和不能朽坏之福的,就以永生报应他们;惟有结党、不顺从真理、反顺从不义的,就以忿怒、恼恨报应他们;将患难、困苦加给一切作恶的人,先是犹太人,后是希腊人,却将荣耀、尊贵、平安加给一切行善的人,先是犹太人,后是希腊人.因为神不偏待人.
罗马书2.6-11

今度は旧約聖書から。(上記はみな新約聖書です)

「你要保守你心,胜过保守一切,因为一生的果效是由心发出.你要除掉邪僻的口,弃绝乖谬的嘴.你的眼目要向前正看;你的眼睛当向前直观.要修平你脚下的路.坚定你一切的道.不可偏向左右;要使你的脚离开邪恶」
箴言4.23-27
「你要喝自己池中的水,饮自己井里的活水」
箴言5.15

次はまた新約聖書から。とても励まされる御言葉です。
「所以我告诉你们,凡你们祷告祈求的,无论是什么,只要信是得着的,就必得着」
马克福音11.24

尚、中国語の聖書ですが、キリスト教書籍を専門に扱っている書店であれば、大体どこででも購入できると思います。東京ですと、銀座教文館書店とか、西新宿のオアシスブックセンターとか。私の持っているものは黒い表紙のけっこうしっかりした装丁で、簡体字で書かれています。値段は・・ごめんなさい、忘れました!が、そんなに安くはなかったと思います。しかし中国人の友人がいらっしゃる方ならば、その方に中国国内のキリスト教会に行ってもらって購入してもらうのも一案です。その方が軽くて安いものが手に入るかもしれませんね。
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by saiko-ch | 2005-08-10 16:27 | 中国語聖書