長崎原爆忌
今日は、長崎の原爆忌です。
東京に住んでいた頃は、原爆といってもあまり実感がわかなかったように思いましたが、ここ長崎に住んでみると、やはり違いますね。子どもたちは今日、学校の登校日です。平和学習が行われ、被爆者の方の体験談などを聞いてくるんですね。
うちでは寝る前にお祈りをするんですが、子どもたちも小さな頃から、自発的に「げんばくとか、ばくだんとか、せんそうがないようにしてください」と毎日お祈りしています。(通っている保育園でも、この日には原爆や戦争についてのお話があったようです)
私の住んでいる場所は、長崎といっても佐賀県寄りで、原爆の被害を受けた長崎市はかなり遠いんですが、親戚のなかには当時、市内にまで支援に駆けつけ、被爆した方々もいます。
今日、午前11時2分には、町中にサイレンが鳴り渡り、皆が黙祷を捧げます。
私も謹んで、犠牲者の皆さんのご冥福と世界の平和を祈ります。
ここで、「フランチェスコの平和の祈り」という文を紹介したいと思います。アッシジのフランチェスコとは、フランシスコ会の創設者として知られるカトリック修道士で、この祈りは彼の作ではないのですが、彼の精神をよく伝える祈りであるとされ、多くの人に愛唱されています。以下は日本語訳と中国語訳なんですが、中国語は二種類のものがネットに出ていたので、参考に二つともご紹介しておきます。
フランチェスコの平和の祈り
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。
アッシジのフランチェスコ
圣方济各和平祈祷文
主啊,
请将我塑造成和平工具
哪里有伤害,让我传达宽恕
哪里有仇恨,让我播种爱德
哪里有疑惑,让我提供望德
哪里有绝境,让我带去喜乐
主啊,
请赏赐我所梦寐以求的
不是被理解,而是去理解
不是被安慰,而是去安慰
不是被人爱,而是去爱人
因为
只有给予,我们才会获取
去原谅,我们才会被宽恕
死于旧我,才会获得永生
圣方济各的和平祈祷词
主啊,
求你使我们成为你和平的工具,
在有仇恨的地方,让我播种仁爱,
在有伤害的地方,让我播种宽恕,
在有猜疑的地方,让我播种信任,
在有绝望的地方,让我播种希望,
在有黑暗的地方,让我播种光明,
在有悲伤的地方,让我播种喜乐。
主啊,
求你给予我们那梦寐以求的,
叫我们不求安慰,但去安慰,
不求理解,但去理解,
不求被爱,但去爱。
因为,
给予就是我们的收获,
宽恕别人,我们就被宽恕,
这样的死亡,就是我们的新生。
長崎原爆資料館
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by saiko-ch | 2010-08-09 11:29 | 中国語聖書